可愛いこぶた

お洒落じゃないぬるいオタクのほぼ育児日記

甘やかす?甘えさせる?

甘やかす。
甘えさせる。

似ているけど全然違う。分かっていたつもりだったけど分かっていなかったので、自分のため整理して書きます。

「甘やかす」
子供の言いなりになる。
親も自分を甘やかしている。

「甘えさせる」
親が主導権をもつ。
物欲を満たすことではない。


子供はたっぷり甘えさせてあげましょう、と本やテレビでよくみていた。私はその通りだ!と思い、実践しているつもりだった。
1歳から保育園にいれているので、余計に家では甘えさせてあげようと思っていた。できるだけ息子のペースに合わせて、やりたいことをさせて。話すこともままならない幼児相手にイライラや怒りを感じることは少なかった。
でも少しずつ「甘えさせる」が「泣かせないようにすればいい」と考えるようになっていた。欲しいと指差す物を買い与え、テレビが見たいと言われれば見させていた。テレビを見させていれば自分も楽だったので、どんどん時間が長くなっていった。スマホのゲームや動画にも息子は夢中になった。
息子は2歳頃から、両親や義両親から「難しい子」だと言われるようになった。
その時は「イヤイヤ期だし、みんなこんなもんだろう」と思って気にしないようにしていた。ぐずらないときの息子はとても可愛いのだからと。
でも息子が3歳になり言葉も達者になってきた頃からイライラや怒りを感じるようになってきた。ぐずる息子に手を焼くようになってきたのだ。
そして娘が産まれたあとは、赤ちゃん返りも相まって息子は癇癪をおこすようになった。
それでも私は、充分可愛がってきた。甘えさせてきた。きっと今だけだ。大丈夫。と自分に言い聞かせていた。
ある日、私一人で子供達を連れて買い物に出かけた。そして帰り際、いつものように息子は帰りたくないと癇癪をおこし床に寝転がってしまった。娘を抱っこ紐で抱っこしていたので息子を抱っこして移動することもできず、どうしようかなと呑気に考えていたら知らないおばさんが話しかけてきた。
「大丈夫?今度ここで(地域のコミュニティーセンター)でいいお話が聞けるから来てみてね」
途端に私は猛烈に恥ずかしくなって軽くパニックになった。すぐここから帰らなければ!と思い、おばさんに息子を少しみててくださいとお願いして急いで娘を車に乗せて、息子のところへ戻った。そして、お礼を言い帰ろうとする私におばさんは言葉を続ける。
「本当にいいお話だから来てみて。育てやすくなるよ」
執拗に名前と電話番号を聞いてくるおばさん。早くその場から立ち去りたい私は、名前と携帯番号を言うがおばさんはさらに家電まで聞いてくる。そこで、やっとなんかおかしいと気づきそそくさと車に乗り込んだ。おばさんはそのまま店に入っていったので一息ついたが、おばさんの言葉が頭の中で鳴り響いていた。
「育てやすくなるよ」
息子は育てにくい子だと思われたのか。まだ帰りたくないと泣き喚く息子を運転席で抱きかかえながら、私も泣きじゃくった。息子は難しい子じゃない、育てにくい子じゃない、と思いながら頭の片隅ではそれを認めていた。でも認められなくて泣いていた。

(後から調べたらそのお話の主催は宗教絡みでしたので行っていません。二度電話がかかってきましたが無視していたら、今のところかかってきていません。そして後で旦那さんに息子が誘拐されなくて良かったね、と言われてヒヤリとしました。私は危機管理能力が低すぎる)

それから色々調べたり考えたりして、結論をだしました。
私は甘えさせていたのではなく、甘やかしていた。自分自身も甘やかしていた。
私が息子を難しい子に育てていた。
自分の間違いを認めるのはとても辛かったです。
でも認めないと前には進めません。
今、息子と一緒に軌道修正を頑張っています。

このことで意思が弱い自分を再確認しました。自分もまだまだ成長しなければいけないと思いました。
「育児は育自」とはよくいったものだなと改めて思います。
そして気づかせてくれた息子の癇癪にも意味があるのだなと。癇癪がなくそのまま育てていれば、息子が大人になったときに苦労していたかもしれません。(我慢ができない大人……私のように)

知識や情報は正しく理解して活用できなければ、知らないほうがうまくいく場合もあるのだな。
子供をしっかり育てようと思うと厳しくなりがちですが、それで自然と我慢を覚えたり聞き分けよくなったりするんじゃないかな。
あと「甘えさせる」という言葉が勘違いしちゃうんだよなー。「甘やかさず尊重する」がわかりやすい?
「褒める」も難しい言葉ですが、それはまた勉強中。

懲りずにまたマニュアル本を読んでいる私でした。
おしまい。