可愛いこぶた

お洒落じゃないぬるいオタクのほぼ育児日記

予防接種についての考え方

予防接種について調べたり考えたりするのは子供が産まれてからの人が多いと思う。私は漠然と予防接種はするものだと思っていました。重篤な副作用は稀で自分のまわりでおこることはないと気軽に考えていた。
でも息子のポリオの生ワクチンの集団接種を控えていた頃にちょうどニュースで生ワクチンによる副作用で子供に重篤な障害がおきていることを知り、予防接種について考えるようになりました。そして私は予防接種を受けると決断したのですが、受けないと決意する人との違いはなにかなと思った。なぜ私は受ける方を選択したのかなと考えてみました。

もちろん公衆衛生のため接種する意義はあるのですが、結局は我が子が一番だと思うのでこれについては考えません。
予防接種の副作用のため障害が残ったり死亡する確率と接種しなかったために重症化したり死亡する確率で比べて決めるのはどうか。でも確率が低かろうが高かろうが、そうなってしまえばその人にとっては100パーセントです。なのでこれも考えません。
では後悔しない選択をすればよいと考えますが、どちらを選択しても死ぬほど後悔するでしょう。でもその後悔の仕方と立ち直り方が人によって違うのかなと思います。
予防接種を受けると選択した場合。
副作用について分かっていたのに受けると選択した自分のせいだ。そして予防接種を推奨する国のせいだ。

予防接種を受けないと選択した場合。
国は推奨していたのに受けないと選択した自分のせいだ。

私は弱い人間です。後悔の重圧を自分一人では背負えないと思います。別に国は悪くないと思いますがその時だけは一緒に背負ってもらったほうが心は軽くなるかもしれない。障害が残ったとしても副作用によるものなら少しでも救済措置があるほうが気が楽になるかもしれない。それで私は予防接種を受けると選択したのかなと思います。

予防接種を受けないと選択するのが悪いとかそういう話ではないです。自分の決めたことだからと強く立っていられることは素晴らしいと思います。
でも予防接種を受けませんと宣言したり勧めたりすることにはモヤモヤします。
それは、なんだか自分は他多数の人より子供について考えているんだとアピールしているようにみえるからかもしれません。

最後に、漫画のJINや大奥を読んでいると、ワクチンを作ることの大変さとか人の思いを感じるのでワクチンをそんなに悪者にしないであげて~と思うオタクなのでした。

初めての嘘

ある日の息子。3歳9ヶ月、初めての嘘。

保育園から帰ってきて家中の電気をつけだした息子。
背が伸びて電気スイッチに手が届くようになって嬉しいのか最近よくするけど、いつもは一階だけ。その日は二階まで行ってつけだした。
夕食の準備もありバタバタしていたので、その時はなにも言わずにスルー。
夕食が終わってから息子に二階の電気消してきて、と伝えた。すると息子は行きたがらず、お母さん行ってきてと言う。
私も行きたくなかったので断り、電気のつけっぱなしはもったいないから消してきてと、もう一度伝えた。
そして息子は「ついてない」と言い出した。
今まで「これ乗ったことある」「ここ行ったことある」など空想の延長のようなことは言ったことはあったが、それとは全然違う。意識して嘘をついた。
まずどう対応したらいいのか分からなかった。「嘘ついてるでしょう。嘘はついてはだめ」そう言えばいいのかなと思ったが、嘘も方便という言葉もあるし躊躇いがあった。その行為が嘘をつくということだと認識させても大丈夫なのかな、という思いもあった。
でもそのままでは埒があかないので「お母さんが見にいって電気ついてたらもう今日はテレビ見せないよ。見にいっていいの?」と聞いてみた。
今思い返すと3歳相手にまわりくどすぎるし、考えすぎ。
案の定3歳児が「本当のこと言わないとペナルティがあるよ」という真意に気付くはずもなく、見にいっていいと返事。
そして見事に二階はすべて電気がついていて全部私が消して降りる。息子についていたと伝えて今日はテレビ見ない宣言。
息子は号泣しテレビ見たいと主張。
私は電気ついてたからテレビ見ないと返事。
息子泣きながら電気消す~!と言い出す。もう消した、と私。
そのやりとりを続けていると、おもむろに息子が二階へ行き電気をつけてまた消すという行動をとる。
なんか主旨がずれてる!
そして息子はテレビ見ようか、ともちかけてくる。
違う!違う!
「電気ついてるのに、ついてないと言ったからテレビ見ないんだよ。(事実と)違うことは言わないで」と説明。
その後もしばらく泣いていましたが諦めて他の遊びをしていました。
旦那さんが帰ってから息子に「なんでテレビ見ないかお父さんに教えてあげて」と聞きましたが返事は「わからん」
うーん、どうすれば良かったのかお母さんもわからん。

罰を与えるのはよくない。罰ではなく解決策を提示する。と本では読みましたよ。でも今回は実践できませんでした。

甘やかす?甘えさせる?

甘やかす。
甘えさせる。

似ているけど全然違う。分かっていたつもりだったけど分かっていなかったので、自分のため整理して書きます。

「甘やかす」
子供の言いなりになる。
親も自分を甘やかしている。

「甘えさせる」
親が主導権をもつ。
物欲を満たすことではない。


子供はたっぷり甘えさせてあげましょう、と本やテレビでよくみていた。私はその通りだ!と思い、実践しているつもりだった。
1歳から保育園にいれているので、余計に家では甘えさせてあげようと思っていた。できるだけ息子のペースに合わせて、やりたいことをさせて。話すこともままならない幼児相手にイライラや怒りを感じることは少なかった。
でも少しずつ「甘えさせる」が「泣かせないようにすればいい」と考えるようになっていた。欲しいと指差す物を買い与え、テレビが見たいと言われれば見させていた。テレビを見させていれば自分も楽だったので、どんどん時間が長くなっていった。スマホのゲームや動画にも息子は夢中になった。
息子は2歳頃から、両親や義両親から「難しい子」だと言われるようになった。
その時は「イヤイヤ期だし、みんなこんなもんだろう」と思って気にしないようにしていた。ぐずらないときの息子はとても可愛いのだからと。
でも息子が3歳になり言葉も達者になってきた頃からイライラや怒りを感じるようになってきた。ぐずる息子に手を焼くようになってきたのだ。
そして娘が産まれたあとは、赤ちゃん返りも相まって息子は癇癪をおこすようになった。
それでも私は、充分可愛がってきた。甘えさせてきた。きっと今だけだ。大丈夫。と自分に言い聞かせていた。
ある日、私一人で子供達を連れて買い物に出かけた。そして帰り際、いつものように息子は帰りたくないと癇癪をおこし床に寝転がってしまった。娘を抱っこ紐で抱っこしていたので息子を抱っこして移動することもできず、どうしようかなと呑気に考えていたら知らないおばさんが話しかけてきた。
「大丈夫?今度ここで(地域のコミュニティーセンター)でいいお話が聞けるから来てみてね」
途端に私は猛烈に恥ずかしくなって軽くパニックになった。すぐここから帰らなければ!と思い、おばさんに息子を少しみててくださいとお願いして急いで娘を車に乗せて、息子のところへ戻った。そして、お礼を言い帰ろうとする私におばさんは言葉を続ける。
「本当にいいお話だから来てみて。育てやすくなるよ」
執拗に名前と電話番号を聞いてくるおばさん。早くその場から立ち去りたい私は、名前と携帯番号を言うがおばさんはさらに家電まで聞いてくる。そこで、やっとなんかおかしいと気づきそそくさと車に乗り込んだ。おばさんはそのまま店に入っていったので一息ついたが、おばさんの言葉が頭の中で鳴り響いていた。
「育てやすくなるよ」
息子は育てにくい子だと思われたのか。まだ帰りたくないと泣き喚く息子を運転席で抱きかかえながら、私も泣きじゃくった。息子は難しい子じゃない、育てにくい子じゃない、と思いながら頭の片隅ではそれを認めていた。でも認められなくて泣いていた。

(後から調べたらそのお話の主催は宗教絡みでしたので行っていません。二度電話がかかってきましたが無視していたら、今のところかかってきていません。そして後で旦那さんに息子が誘拐されなくて良かったね、と言われてヒヤリとしました。私は危機管理能力が低すぎる)

それから色々調べたり考えたりして、結論をだしました。
私は甘えさせていたのではなく、甘やかしていた。自分自身も甘やかしていた。
私が息子を難しい子に育てていた。
自分の間違いを認めるのはとても辛かったです。
でも認めないと前には進めません。
今、息子と一緒に軌道修正を頑張っています。

このことで意思が弱い自分を再確認しました。自分もまだまだ成長しなければいけないと思いました。
「育児は育自」とはよくいったものだなと改めて思います。
そして気づかせてくれた息子の癇癪にも意味があるのだなと。癇癪がなくそのまま育てていれば、息子が大人になったときに苦労していたかもしれません。(我慢ができない大人……私のように)

知識や情報は正しく理解して活用できなければ、知らないほうがうまくいく場合もあるのだな。
子供をしっかり育てようと思うと厳しくなりがちですが、それで自然と我慢を覚えたり聞き分けよくなったりするんじゃないかな。
あと「甘えさせる」という言葉が勘違いしちゃうんだよなー。「甘やかさず尊重する」がわかりやすい?
「褒める」も難しい言葉ですが、それはまた勉強中。

懲りずにまたマニュアル本を読んでいる私でした。
おしまい。

視力

私は生まれつき強度の近視と乱視です。
裸眼はもう全然測定してません。眼鏡で0.6、コンタクトで1.0あるかな。次の自動車免許更新ちゃんとできるか不安です。
近視が強すぎて、コンタクトの矯正視力だと逆に小さい字などが見えにくく中学生で老眼鏡を作ったこともあります。(結局面倒であまり使わなかったけど)
乱視が強すぎて、ある眼鏡店では作れませんと断られたこともあります。
最近、鏡をみていて自分は少し斜視なんじゃないかなと思い眼科医に聞いたところ「よく気づいたねー」と言われました。水晶体も少しずれているらしいです。頭に衝撃与えないようにと言われました。……気をつけます。

絵に描いたような瓶底眼鏡だったので小学校時代はメガネザルとからかわれたこともあります。泣いた記憶がうっすらあります。今思えばメガネザル可愛いよ。
そして本当に眼鏡を外すと別人のようになるので、突然コンタクトにして塾に行ったら気付かれなかったということもありました。

母曰わく幼稚園のときからコンタクト矯正を始めていて、母がコンタクトの着脱をしてくれていました。
でもずれた時やゴミが入った時の激痛で悶え苦しんだこともあり、なかなかつけたがらなかったそうです。
そりゃそうだ。ハードコンタクトにゴミが入った時の痛みは今でも辛いです。
小学六年生くらいから自分でコンタクトつけだしたと思います。
その頃から眼鏡姿の自分が嫌でたまらず、眼鏡で外出することはほとんどありませんでした。
なので修学旅行などで眼鏡をかけるときがたまらなく辛かったです。
中学校の修学旅行では、事前に友人に「眼鏡姿は別人になるから!」と笑いながら申告しておき、実際眼鏡姿を披露して「本当だー!別人ー!目ちっちゃー!」と笑われました。「そうでしょ~」と一緒に笑いましたが、心の中では悲しい気持ちもありました。
でもそれからは、鉄板ネタとして割り切れたように思います。
今はただ単に眼鏡だと見えにくいし耳も痛くなるし皮脂でずれてくるしでコンタクトをつけています。

息子も同じように近視と乱視があるとわかったときはショックでした。
生活の中で視力が悪いと感じたことはありませんでした。保育園でも指摘されたことはありませんでした。
たぶん昔より一般的に家庭のテレビサイズが大きくなっているため、近くに行かなくても見えるので、近づいて見るから視力が悪いんだ!と気付きにくくなっているのかもしれません。
3歳半健診の少し前に、なにげなく1メートルほど離れた場所でカーズトミカを手にとって「これの名前はなぁに?」と聞いた途端、息子は近くまで駆け寄ってきてから名前を言いました。
瞬間、私は焦燥感でいっぱいになりました。同じことを何度も繰り返して確認しました。でも結果は同じ。
旦那さんに伝えたところ、やはりショックを受けたようでした。
でもショックだと言い合ってもなにも進みません。
幸い3歳半健診が近かったので、そのときに小児科医に相談して病院を紹介してもらいました。

ネットで調べたところ、子供の頃にきちんと見えていないと脳が認識しなくなり眼鏡などで矯正しても視力がでなくなるということ。矯正視力がでないというのを弱視ということ。ざっくりと理解したのはこんなところです。遠視の場合は訓練により視力がでてくることもあるようですが、近視の場合はよくなることはなさそう。
もしかしたら遠視かもしれないと思いながら診察にいきました。
初診では視力検査で裸眼が0.2くらいで近視と乱視があるとのこと。まだ集中力がないので正確な視力ではないかもしれないとのこと。
やはり遠視ではなかったと少し落ち込みつつも、0.1以下ではないからまだいいかも!と自分を励ましました。
しかし次回はもう少し詳しく検査するとのことで、眼鏡の処方はなく終了。
そして次の診察では、目の調節機能をゆるめる目薬をさしてから視力検査。
すると裸眼が0.08矯正視力0.6という結果。
まさにガーン!という気持ち。
自分の視力について話し、遺伝ですか?と質問。近視は目の形や距離が原因でなるので顔が似ていると可能性は高いとのこと。
息子と私、よく似ていると言われます……。

眼鏡を処方してもらい、すぐ作りにいく。
今は少しでもよく見える環境を作ることが一番。
眼鏡カッコいい!お父さんと一緒だね!(旦那さんは後天的な近視)と息子に少しでも前向きに眼鏡をかけてもらうよう声かけしています。可哀想は禁句です!
保育園でも同じクラスに眼鏡っ子がいるのも幸いでした。
眼鏡で登園した初日、お友達から「息子くんメガネだー!」と話しかけてもらいニヤッとしていたそうです。

私の母はよく「視力悪く産んでしまってごめんね」と言っていました。
その時は「別にお母さんのせいじゃない」と思っていたし小学校時代、定期検診のため早退するときは何だか得した気分になっていました。コンプレックスはあったけど、そんなに悲観的ではなかった。
なので息子くんもきっと大丈夫!私自身が経験したことでうまくアドバイスできることもあるだろう。

でもやっぱり「視力悪く産んでしまってごめんね」という思いはある。
私が経験したことのない、裸眼でよく見える世界を見せてあげたかったなと思うのです。